11月23日公開、高畑勲監督のジブリ最新作
映画 『かぐや姫の物語』
あらすじと、結末までのネタバレ
CMで言われてる姫の罪と罰について解説
怖いと評判の、予告動画はどんなシーンなのか
お答えしちゃいましょう
罪と罰の意味だけ知りたい人はかなり下のほうまでスクロールしてからご覧ください
原作は、竹取物語
原作は、童話や昔話のかぐや姫ではありません
古典文学の竹取物語です
昔話のかぐや姫の原作が、竹取物語なので、似たようなモノではありますが
竹取物語のストーリーは
こちらのサイト
http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/taketoripage.htm
がとても詳しいです。古典文学としての原作に興味があるなら是非ご覧ください
怖いの?
いえ、まったく怖くないです
怖いという噂は最初に公開された予告編の絵と内容が
パッと見では、かぐや姫のイメージから離れてて、怖かったからですね
ちなみにこんな絵
動画はこちらで見られます
http://www.youtube.com/watch?v=TKbXE-UhW1I
確かになんか不気味ですけど、このタッチの絵はこのシーンだけです
ほぼ前編とおして、可愛く綺麗な絵柄で物語は進行しますのでご安心を
映画のあらすじ、結末ネタバレ
あらすじとしては、はっきり言って原作とほとんどかわりません
80%一緒といっていいでしょう
ネタバレ書いててなんですが
是非、劇場に観にいってほしい作品です
正直、ストーリがどうとかそういう楽しみ方をする映画じゃない
絵の綺麗さ、心理描写の巧さ、流れる空気
を楽しむ映画だと思います
また、主人公とある人物の、ちょっとしたロマンスシーンなんかは
あえて省略してます
是非、劇場へ!!
さてさて、この映画
物語の中の出来事はほとんど原作そのままに
その時々のかぐや姫や、お爺さんお婆さんの心の動きなんかを描写して
2時間の物語を仕上げた印象です
じゃっかん、変更点もあります
オリジナルのキャラも登場します
捨丸という田舎の少年
都会に出たかぐや姫の家庭教師な女性
の二人は完全に映画オリジナルのキャラクターです
帝は原作・竹取物語にも登場しますが
映画ではかなり嫌われるキャラになってますしね
原作では、かぐや姫とけっこう仲良いんですがねぇー
箇条書きしていくと
生パスタを2分で家で作る!!やり方はコチラ
- お爺さんが光る竹を見つける
- 近づくと光が降りてきて弾ける
- 弾けた光が地面に落ちて、タケノコが生えてくる
- ニョキニョキ成長するタケノコ
- ある程度成長すると、皮が自然とはがれていき、中から高価な服を着た女の子登場
- 最初から、貴族っぽい服を着た状態。めっちゃ可愛い。ジジイ、メロメロ
- 天から授けられたに違いない。と、お爺さんが姫を連れて帰る
- お婆さん、あっさりと受け入れる
- この短い時間の間にも、姫成長する。
- お婆さん、近所にすんでる子育て中の女性に母乳分けてもらいに行こうとする
- 途中で、何故かそんな気がして、お婆さん姫に母乳上げてみる
- 母乳出た!!
- ってことで、お爺さんお婆さん姫の生活が始まり始まり
- ニョキニョキスクスクグングンと育つ姫
- 近所の子供たちとも顔見知りに
- いつのまにやらあだ名がタケノコとなる
- 田舎暮らしを心底楽しんでいるタケノコ
- タケノコ、ある日山でイノシシの子供、ウリ坊発見
- あんまり可愛いから、呼んでみたら近づいてきた。
- 可愛がってたら、親イノシシ登場
- 親イノシシはウリ守ろうとタケノコに突進。大ピンチ
- 間一髪、田舎まるだしの少年に助けられるタケノコ姫
- 彼の名前は、『捨丸』
- 捨丸や、ほかの田舎子供たちと遊んだり、野山を駈けたり楽しく育つタケノコ
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- ある日、お爺さん山で光る竹をまた見つける
- 切ってみると、中から砂金がたくさん
- お爺さん、拾い集める。誰にも言わず自宅に隠す
- それからも何回か、同じように砂金を見つける
- またある日、光る竹きったら、中からそりゃもう立派な貴族用の着物や装飾品が!
- お爺さん、砂金と着物は天からの授かりモノと考える
- これを使ってタケノコを立派な本当の姫君にしろとの天からの啓示なんだ。と
- 爺、婆に都でタケノコ育てることにしたと告げる
- ちょっと反対するけど折れる婆
- タケノコ、捨丸たちと遊んでる
- 童謡うたったりする子供たち
- タケノコもその歌知ってると言い出す
- 歌ってみると、なんか微妙に歌詞が違う
- なんでこんな歌を知ってるのか不思議に思うタケノコ
- また明日なーと分かれて帰宅
- 爺から、都に引っ越すと告げられる
- 次の日、引っ越す三人
- また明日といったのに、引っ越すのが寂しいタケノコ
- 引越し先は、都の立派なお屋敷
- 例の砂金で爺が建てた(買った?)らしい
- タケノコ、きれいな屋敷にキョトンとするも
ここが今度から自分たちの家と聞いてテンションアゲアゲ - たくさんの綺麗な着物にもウキウキ
- 屋敷中を元気に走り回るタケノコ
- 庭には大きな池が
- タケノコ『あの池で泳いでもいんでしょ?やったー』
- お爺さん『高貴な姫はそんなことしないから駄目ー』
- と姫を立派で高貴な女性に育てる方針
- 急にそんなこと言われてもって感じでしょんぼりタケノコ
- お爺さん、家庭教師的な女性も既に雇ってる
- 立派な女性に育てて、立派な男性の元に嫁がせるため
- カテキョ『教えがいのある元気なお嬢様ですな。でもお顔もきれいですし将来楽しみ』
- 田舎暮らしから、急に堅苦しい都の生活に不満げなタケノコ
- カテキョにも不満げ
- お歯黒の習慣とか、恋愛を経由しない結婚観とかにも不満らしい
- それでも続く、立派な平安レディーになるための教育
- 田舎暮らしに思いをはせながらも、お爺さんの思いもあるんで地味に頑張るタケノコ
- ある日、お爺さん。秋田というなんか偉い人を呼ぶ
- お婆さん言うにはタケノコが大人の女性になったらしい(ひらたく言うと生理がきた?)
- タケノコの名付け親になってもらいたいとのコト
- この時代だと、大人の女性になったらまた名前が変わったりする
- その美しい外見から、かぐや姫と命名される
- 名前決まった祝いに宴会開催。いろんな人呼んだ。貴族的な男性も
- 嫁入り前のかぐや姫は、奥にひっこめて、客人の男性達は宴会
- 酒はいってくるし、美人って噂の姫は見れないしで男性人が文句言い出す
- 『田舎からきた成金が』『偽者のお姫様』『見た目は化け物みたいなんだろうな』
- 心無い言葉にかぐや怒る。手の中にもってた茶碗が割れるほど握り締める
- ここで、例の予告動画のシーン。
- 宴会中の屋敷から、一目散にただただ走って逃げる
- 気づけば、以前すんでいた田舎の家に
- しかし、そこにはもう別の家族が住んでいた
- 帰るべき場所がなくなったと落ち込むかぐや
- トボトボ歩く。ふと気づくとあの頃、捨丸たちが住んでいた場所のすぐ近く
- 尋ねてみるが誰もいない
- じつは彼らは、旅の木こりのような一族。またココにくるのは10年後だとわかる
- またまた落ち込むかぐや
- 気がつくと、宴会をしている都の屋敷にいるかぐや
- 猛ダッシュしたのは夢だったのだろうか?
- 足元には割れた茶碗が転がっている
- なんやかんやと、都で評判になったかぐや姫
- かなりの貴族の5人から結婚を申し込まれる
- 顔を見たことも無い、会話をしたこともないのに求婚してくる神経がわからないかぐや
- そんなかぐやに対して、幻の秘宝を例えに出して絶賛してくる5人
- まるで自分自身も財宝と同じく品物のように扱われていると感じ、かぐや静かに怒る
- かぐや『そこまで言うなら、それぞれ例えに出した秘法を持ってきた人と結婚します』
- 存在しない幻の秘宝だから、取ってくるの無理。って感じで諦める5人
- 3年後
- 実は皆諦めてなかった
- 偽者の秘宝つくったりしてどうにか結婚しようとする
- ある人は、言われた秘宝とは別の物を持参。『一緒に田舎にでもいってのんびりしよう』
みたいな事言うんだけど、実はこいつ超女たらし。口先でかぐや落とそうとしただけ - 最後の1人は本気で秘宝を探しにいって命を落とす
- 自分のせいで、人が死んだと悲しむかぐや
あらすじはまたくわしく追記しますが
最終的に、
- かぐや姫は、都の生活、求婚してくる男達の心根の醜さにに疲れ果て
- しまいにゃ、帝。当時の日本で一番高貴な男性からも口説かれる
- またこいつがキモい。そりゃもうキモい
- 強引に、うしろから抱きつかれるかぐや
- 『もう限界だ、ここから居なくなりたい』と願ってしまう
- その瞬間、月の記憶が蘇る
- 記憶がよみがえると同時に、超能力みたいなの使えるようになる?
- 帝から抱きつかれてたのに、ワープして脱出
- なんやかんやで帝が帰る
- 思い出したことは
- 月から迎えが来ること
- 絶対にその迎えに逆らえないこと
- 月へ帰るときには、地球での思い出が消えてしまうこと
- 月で罪を犯していたこと
- 地球に来たのは、罰だったこと
- 例の童歌は、月に居たころに聞いていたこと
- その歌を聞いて、地球に憧れたこと
- そのあたりを、お爺さんお婆さんに話すかぐや
- お爺さんは、金で警護をやとうが月からの使者に歯が立たず
- かぐや姫、帰りたくないと、使者に語る
- 使者、語ってる最中に、かぐやに羽衣?みたいなのかける
- その瞬間、かぐや姫から表情が消えて抵抗を一瞬でやめる
- 月の世界の人間のあるべき姿、性格に戻り、地球での記憶が消された瞬間
- かぐや姫は帰っていく
- 泣き崩れるお爺さんお婆さん
- でも、かぐや姫はもう地球でのことは忘れている
- しかし、捨丸たちと歌った例の童謡が何故か思い出される
- 口ずさむと、知らないうちに涙が・・・・
- 記憶は残っていないが、感情だけは心の奥に残っているらしい
って感じでラストシーンです
結局、姫の罪ってなによ?
ぶっちゃけますと実のところ
映画の中ではっきりとした答えは表現されません
ちなみに原作では映画以上にまったく答えがないです
原作ラストのほうで
かぐや姫はつきの世界で罪をおつくりになったから地球に来てたんだよ
って情報が月の使いによって語られるだけです
この辺を掘り下げるって感じの宣伝をしてたはずなんですけどね・・・
とはいえ、映画版ではなんとなく匂わせるような描写があります
いろいろ解釈はあるかと思いますが
- 穢れ無き、月の世界に住んでいながら、下賎な地球の暮らしに憧れた事が罪
- 憧れの地球へと送られ生活をしていく
その中で沢山のつらい思いをしなければいけなかったことが罰
であると、考えられます
憧れてた地球に送られたら、それただのご褒美じゃね?
と思うでしょうが、実はよくよく考えてみると
- 田舎暮らしが好きだったのに、半ば無理やり都暮らしになった
- そうなった理由は、お爺さんが砂金や着物を竹から手に入れたから
- これは、明らかに月世界のしわざ
- 都暮らしや、花嫁修業も結構苦痛だったかぐや姫
- お爺さんとのすれ違いもおきたり
- 5人の求婚者とのやりとりで悲しい思いもする
- 帝からも夜這いくらったり最悪です
- これも全部、月世界が影で誘導してたから
なんですよね
憧れてた世界で、楽しく何年か田舎暮らしを満喫
半ば無理やり都での生活
人間の汚い面に触れ、大好きだったお爺さんとはすれ違いが起きていき
幼いころ楽しい思い出を共有した捨丸とも、もはや住む世界が違うという現実に打ちひしがれたりさせて
憧れの地球に対して
『もうここから居なくなりたい』
と思わせて、月へと連れ戻す
ここまでが罰なのではないかと思います
そして、この瞬間に月での記憶。地球に居る理由も思い出すという徹底振り
最後には、お爺さんやお婆さん・捨て丸のことも必ず忘れてしまうことも知ります
逃げられないことも知ります
こんなもんツラいに決まってます
エグイです。月世界の罰。陰湿ですマジ卑劣
追記
小説版を読んだところ、罪と罰がハッキリ書いてありました
かぐや姫が、月に居たころ
とある女性がたびたび歌っている、、とある歌
かぐや姫はそれを聞くと、心がざわついていた
実はその歌は、女性が過去地球で暮らしていたころの歌
地球での記憶は残っていないのになぜか度々歌っている
かぐやはその歌を聴き、地球へ憧れを抱く
月の世界は、穢れのなき世界
地球は、穢れのある下賎な世界
- 月にありながら、地球に憧れることは罪であり、罰を与えなければならない
- 穢れある世界で生きていき、月へと帰りたいとお前が願ったそのとき、罪を許そう
- 何故なら、その瞬間お前は、地球を穢れた世界と認めたということだから
的なことを、月のお偉いさんに言われてるシーンが
小説版にありました
このシーン、高畑監督の判断で
映画ではカットしたそうです
まとめ
シナリオやストーリじたいは、原作ほとんどそのままですが
心理描写、特に前半の田舎暮らしの楽しそうな様子
柔らかな空気感
後半のかぐや姫と、お爺さんお婆さんのすれ違いの描き方
苦悩と葛藤の演出技法
見所は沢山あります。絵も凄く綺麗
心理描写に至っては、僕程度の文章では、2割も伝えられないでしょう
正直いって、CMでの罪がどうの罰がどうのって煽りさえなければ、かなりの傑作なんじゃないかと
竹取物語をアニメ化した作品という前提で観にいけば楽しめると思います
原作では明らかにされなかった
罪と罰への新解釈を期待して見に行くとガッカリするかもです
大ヒットするかは正直怪しい気はしますが
記録ではなく記憶に残る映画です
映画つながり、ということで
年末1大イベント、紅白関連
今年のゴールデンボンバーは女々しくて歌わない!
追記
姫の犯した罪と罰ですが、映画の中であからさまにはっきりと説明されてはいませんが
それとなく言及はされています
まったくもって予想も推測もできなかった
って思った人は、たぶんそのシーン見逃してるか、印象に残ってないから
考え付いてないだけだと思います
とはいえ、CMのキャッチコピーで期待させといてコレちょっとなー
ってのはすごく気持ちはわかります
コメント
かぐや姫って、竹を取って籠を編んで売っていた籠屋の姫だと小学校時分、先生が言ってらした・・
月氏の出身の姫の悲しさをシンボリックに伝えた物語ではないだろうか・・??
太陽信仰で西洋も日本も「陽」やpositiveがもてはやされ、
未来に向かって過去を断ち切ってウソ偽善、欺瞞、詐欺、略奪としか思えなくても、
そのまま呑み込めと強要する資本主義社会の五世?生け贄にされてきた女性の存在を忘れては行けないということを諭したものではないだろうか・・??
大自然での絶対的真実?真理としては・・過去の連続の結果が今であり未来であるということ・・
それを人為的にねじ曲げても・・結果は更に歪に歪曲するだけで・・
何の修正にも補修にもなり得ない?ってことじゃあないのかな・・??
大切なのは根本的に原則に立ち返ることじゃあないのかな・・??
罪と罰というから見に行ったのに、はっきりされてない所が残念でした。こちらの解釈で少しスッキリしました。原作では帝にもう少し気があったような気がするのですが、ちょっと曲げられてるのかな…
いやぁ今日見てきましたが、一部ストーリーが理解できないところがあったので、よくわかりました。
ありがとうございました。
現時点で、ここまで明快な内容をお書きになるなんて、すごい!
ちょっと気になったので。。。
かぐや姫が割ったのは食器ではなく「貝合せ」という遊びに使うハマグリの貝殻です。
違う貝同士の片割れではピッタリ合わさらないという二枚貝の特性を活かして、綺麗に絵付けした貝の正しい組み合わせを探すという女の子の遊びですね。
ちなみに女の子同士の体位の名前でもあるので、映画館で「これはメタファーか!?メタファーなのか!?」と一人で悶々としてましたw
(お付の子が姫のそばで眠ってましたしw)
私も姫の罪と罰が知りたくて観に行きました。なんとなくももやっとしたまま劇場を出ました。
中学校1年生で竹取物語に触れますので、原作にほぼ忠実に作られていますから、授業後に観るとよい作品だなあと思いました。
茶碗じゃないでしょ
ハマグリの殻の片側じゃないの?
貝合わせの片側を壊すって伏線だと思うけど
私も日曜日に見に行きました♪
すごく分かりやすい解説で
なんだかモヤモヤしていたのですがスッキリしました!
いまも、かぐや姫の余韻我残っています
罪と罰の解釈だけど、違っています。
もっと奥が深いです。それが分かればこの映画の見方もガラリと変わり納得します。
罪を犯したのは大昔のこと。
罰は何度も繰り返される人生。地球の出来事は半分だけ、残り半分は月の世界で。(ヒント、富士山。これちゃんと説明しているか確認のためもう一度観たい。)
すべての出来事は真逆。(捨丸との愛のトリップは罪のヒント)
エピローグの涙は悔やみの涙。記憶は消されていない。
そして同じだけの時間を経て、超短いプロローグへ。
映画を観た人は、これらのヒントを念頭に確認してみてください。
パンフレットと、小説をご確認ください
もしくは、ぜひとも
とんがりさんの、解釈をお聞かせください
仏教感や輪廻観は、ジブリ映画のかぐや姫の物語ではなく
既存の竹取物語の解釈本には適用されると思うのですが
今回の映画に持ち出しすぎるのは僕は不自然だと思います
他の方もコメントで示されていますが、茶碗ではなく貝合わせの貝です。
それから、おばあさんは出そうな気がしたからおっぱいをあげたのではなく胸が張ってきた(おっぱいが突然作られた)からおっぱいをあげたのだと思います。
罪と罰については小説版の詳しい説明もいただきありがとうございます。少し納得しました。
『親のエゴの惨酷さ&不倫礼賛』を描いた「狂気のジブリ映画」
「ネタバレ」というのは、はらはらどきどきのストーリー展開の「暴露」をさしているのですが、この映画は、万人周知の原作に「忠実」に描かれているので ネタバレはありません。
1.親のエゴの惨酷さ
(1)色好みの五人の皇子が姫に求婚するが、無理難題をつきつけて姫が断わる場面
☆石作皇子だけ原作と違う☆
(原作) 石作皇子は大和国十市郡の山寺にあった只の鉢を持っていき嘘がばれたが、鉢を捨ててまた言い寄ったことから面目ないことを「はぢを捨てる」(恥を捨てる)と言うようになった。
(映画) 石作皇子は諸国を旅し探し求めたが見つからず 疲れ果てたまたま座った道端の「一厘の花」に真の自然の美しさを見出し これこそ 自分の姫への贈り物と確信し姫に献上する。皇子は喧噪うずまくこの都には心の平安はない・二人で自然豊かな田舎に行きつつましいが心豊かな暮らしをしようと嘆願する。姫はその話に心打たれ 涙を流す。その時、母親の手が姫の方に触れる。皇子がすだれを上げて、姫の顔を見ると なんとそこには 母親(又は侍女)が厚化粧塗りたくった「ブタのような滑稽・ブサイクな顔」の女性が座っていた。皇子は、驚き平身低頭してその場を立ち去る。
(2)母親が、石作皇子の言葉に心動かされた姫に このままだと 二人が結婚してしまいそうなので替え玉とすりかえて 「結婚を阻止」した。
(3)私は、思わず吹き出して笑いそうになりました。これは、ギャグ映画かって。
(4)ギャグ映画じゃないとすると・・・
☆1=母親は、言葉とは裏腹に 実は大変な女たらしであることを知っていたので結婚をぶっ壊した。→これなら声優を石田純一にすべし。声優上川隆也は09年に原因不明の難病の元女優と4年の交際ののち結婚。映像の演出で、口説き文句を言いながらも ペロッと舌をだす的な「演出」が必須だが、それはない。⇒この線は、絶対ありえない。
☆2=母親は、子離れできておらず、結婚させたくなかった。⇒これしか思い浮かばない。
2.不倫礼賛
(1)終盤で幼馴染のお兄ちゃんと姫との再会場面があり 抱擁・飛翔などが描かれている。
(2)このお兄ちゃん れっきとした既婚者で子供も帯同している。
(3)お兄ちゃんは、姫との再会時 妻・子のことをまったく忘れ去り 姫との再会・恋の炎を燃やす。姫は妻子のことは知らなかった模様。
(4)姫は妻子のことを知らず、不倫とは認識ないので 「罪」はない。
(5)二人が抱き合って、空を飛びまわるシーンを延々と5分くらい見せられて、愕然としました。
世の高畑監督バンザイの女性たち・・・あなたたち 馬鹿にされていますよ・・・! 絶対に。ほかの解釈があるのなら、ここで反論を教えてください。
3.その他
私が、ジブリで好きなベスト3
1位・・・風立ちぬ、2位・・・トトロ、3位・・・ナウシカ&ラピュタ
~~私は、確信をもって言いますが、ジブリ史上『最低』の映画です。~~
☆☆話のタネに 映画館でご自身の目で その是非を確かめてください☆☆
公開から何日も経つと、あちこちのサイトでネタバレ発言がたくさん出ていて、成る程な〜と納得している自分がいます。
自分が感じたのは、まったくオリジナル。
映画鑑賞後にあれこれと想像を巡らし、Wikipediaの竹取物語も読んだりしてこうではないかと考えたものです。
そうそう、あくまで高畑版「かぐや姫の物語」の解釈だと宣言しておく必要はあります。
1,わらべ唄から輪廻転生を暗示させる
2,天上からの迎えに釈迦が出てくる。
死を暗示させているところだけど、お迎えは能天気な調子のお祝いテンポ。人間界の死は天上界の誕生、祝い事。
3,エピローグの地球を振り返って涙。
この解釈、羽衣を着せられたらそれまでの一切を忘れる(死を暗示)。だけど、かぐやは振り返って涙する。
すべてを忘れたのなら、月でまた憧れればいいはず。
別離したばかりの涙ということは、実は記憶がそのまんま保持しているため。
4,プロローグを思い出してほしい。
竹を切ったら普通は赤ちゃんが、、ではなくてそこには小ちゃなかぐや姫が。(ポスターの絵です)
翁がちょっとだけ竹を切るタイミングが早かったのだ。
竹ロケットで送られた姫、天上界で言うところの瀕死状態を見た。(ハスのに守られているところ、如何にも仏教観)
5,3と4から涙したところから、かぐやの人生の折り返し。逆転が始まる。(若返って赤ちゃんへ、の意)
地球で経験したすべての行いの真逆人生を歩むことに。
地球での空を飛ぶ思いの純愛、天空では妻子ある男性との密通。帝と結婚。いいよる貴族のプレゼントもいただき。。悪い子となる。
すべてが真逆。月の景色なんて、花鳥風月何も無し。
里と都、貧と富、真と偽、、生と死。
6,さて、罪と罰のこと。
罪は、竹取物語Wikipediaのあらすじで読んだエピローグに出てくる不老不死の薬。これを飲んだから。
と考えたが違ったかもしれない。
何故なら、映画で暗示がなかったように思うから。
しかも、あちこちで読むと、この薬は天上からの迎えの際に、下界での食は不浄でヤバイから、天人からこれ飲んでと提供されたもの。
こうなると、話が合わないよね。
7.罰は、6で崩壊したかもしれないが、永遠に死なないこと。天上界と下界を行ったり来たり。
人間としての感情もまた、一から。
8,物語は、かぐや姫の絶世美人状態を停止しているが、竹の子のようなスピードで育つかぐやがあの美形のままのはずである訳はない。
いやいや、月の人だから。
ということで、これには目をつぶろう。
「かぐや姫の物語」は映像はもちろんストーリー表現も大満足。
よく知っている話なのに、初めて見るように2時間あっという間でした。
最後は、なんだか分からない感動で涙が。
エピソードのかぐやの涙で、いろいろあれこれ想像し思い巡って、謎の探検を楽しみました。
まだ一度だけしか鑑賞していないので、謎解きには何なのですが。(笑)
2回目再鑑賞。パンフ(600円)も買ってきた。
パンフでは、まんまネタバレ解説でした。
でも、疑問がやはり残る。
3,エピローグで、我慢しきれなくなって振り返り、地球を見て涙。
月界の人の瞳はぜんぶ白かった。
衣を掛けられたはずの、かぐやの瞳は黒いまま。
ここで、地球での悔いを残したまま、天に昇ったのだなと理解した。
4,プロローグの天上界で末期症状の姫。
翁が竹を切って、とつい思っていたんだけど、竹の皮が向けるように出現していたんだね。記憶違いでした。
ここから変化し、人間界の赤ちゃんとして誕生する。
この短い時間を自分は逆行と見たのです。
この超短い逆行は、先の天空からの迎えを頂上として折り返し、天と地を行ったり来たりするのではないかと思ったのです。
5,天上界での逆行。
これは原作のインスパイアもあるのだけれど、帝とは文通やりとりを3年間もしており関係は悪くなかった。
天上に戻るとき、かぐやは「手紙と不老不死の薬」を養親に感謝の意でわたす。それはそのまま帝とのところへ。あとは省略、Wikipediaあらすじで確認して。
でね。
パンフの高畑監督も書いているとおり、「天上界は不老不死」
だから、かぐやは地上界に不老不死の薬を置いて行った。地上で愛した人との再開を願って。
6,罪と罰の、とんがり解釈
パンフにを読めばそのとおりだし、やはりそう作ってある。
だけど、当初感じた動機とそれへの罰とのズレは理解し難く感じた。これだけの罰に値する罪とは?と。
自分が考えたのは、ここから真逆の生活。生活環境は、地上界の何もない冬環境だけ。
こんなところで生の記憶がある者は暮らして行けるわけがない。
天上界で帝と結婚するが、楽しみなく自堕落になって、妻子ある男と、、。
これは、死罪若しくは流刑の罪。
罰は、不死なので永遠の繰り返し。
手紙と不老不死の薬を扇に託したのは、地上界にの帝を愛していた。不死の薬を飲んで生きていたら、再び会えると願っていた。
そうすれば、自分の永遠の苦が終わるのではないかと、、。
2度目に見た帝。
アゴは確かに長いけど、おぞましいとまでは言えないな。
そうそう、あのわらべ唄はくせ者。よく聴かないと分かったようでわからない。
パタリロ侍女がかぐやを送り出すところの歌詞は一種のネタバラシだけど、迎えの映像が凄すぎて一回目はよく理解できていなかったのを確認。
エンドロールで朝丘雪路さんが声の特別出演とあった。
え?どこで?→5人の貴族で、恰好よく言いよりやっぱ顔目当てだったというところ。ホンモノは超ホッソリ。
2度観ましたが、色褪せない作品だと思っています。
>天上に戻るとき、かぐやは「手紙と不老不死の薬」を養親に感謝の意でわたす。そしてそれは帝のところへ。
の解釈について、もう少し補足しますね。
その手紙に書いてあったこと(とんがり想像)
・養親へ。育ててくれたことのお礼と、もう一つの手紙と薬を帝に献上すること
・帝宛には、翁が願っていた事、即ち官職につけること。自分がいなくなった後も、悲しまないように。(苦しみ悲しみは、結局時が解決してくれる。)
・不死の薬を飲んで、私と再開するまで待ってほしい。
しかし、帝は飲食も取れないほど嘆き悲しんで決心する。手紙と不死の薬を月に一番近い山に登って燃やしてしまうのです。(富士山の云われ)
何故、帝は不死の薬を飲まなかったか。
これも、自分が思うにはすごく悩んだろうと推測できるが、これも時間が解決、今ものをいつまでも支持しているから煩悩が治まらないことに気付き、月のかぐやに決別の意を持って富士山で処分した。
かぐや姫の罰はこうして永遠につづく。
高畑版で捨丸を創設したのは、子供時代や初恋の想い、純愛に気付くためにのエピソードに必要だった。
原作のままの帝とのエピソードでは、話のメリハリが付かないので、アゴを長くしてこの人とは会い入れないことにした。月へのヘルプの理由作りにもなるし。
超意地悪ネタバレ、とんがり解説でした。
私は「罪と罰」の意味がよく理解できました。
たぶん、かぐや姫と同じような感情を私も親に持っているからです。
親は私を一生懸命、塾や習い事に通わせましたが、そのとき、私はかぐや姫と同じ感情でした。
逃げたい、家をでたい(月に行きたい)
そして私は親を裏切り、芸術系の学校へ行くため、家をでました。
そのときの親の顔、翁と同じ顔でした。
親を裏切ることは罪です。その苦しみは罰です。
私は、かぐや姫が月に行くという表現、これは「死」を意味している、とも思いました。
「もう遅いのです」と言っているのは、もう死んでしまったからなんじゃないかと。
親との亀裂を体験したかたなら、こういう見方をするんじゃないでしょうか。私は一晩中泣いてしまいました。
いいたいことはわかりますが
かぐや姫が犯した罪は
月での話ですよ
ネタバレを読んで、なるほど!と思いました。
私は読解力がないからか、違う角度で感じていたので。。。
かぐや姫が、辛いあまり死ぬと連発していた場面。死ぬという事を簡単に考えているが…記憶がすべて消される事、でも感情は残っている事。月に行く場面ですごく辛そうにしていたが、死ぬとはそういう事だと言われている気がして…。
だからお迎えにお釈迦様がいたり…と感じ取りました。
最近、困難にあうとすぐに死ぬ事を選ぶ人が増えているので、そのあたりを示唆されたのでは、と思いました。
パンフレットの高畑勲監督のコメントでは姫の罪は禁を破って帰還女性の記憶を呼び覚ましたことが発覚し地上にの思い出によって女を苦しめた罪を問われるってありますね。
月にはいろいろ制約があるのかもしれませんね。
月で涙していた帰還女性は、もしかして羽衣伝説の女性ではないかと思いました。記憶はなくとも感情は覚えているものだと表現されたのかなと。
かぐやが月に帰る時、地球を振り返り涙したのは、実際にそうしたのではなく感情の描写ではないかと勝手に解釈したり(笑)
いまいち理解できてない友達に自分なりの解釈を説明しましたが、同じような解釈の人がいて安心しました。まぁ、竹取物語は原作に不明瞭な点が多く、どれが正解と言う解釈はないと思います。
これはジブリの新しい竹取物語だと思います。
既存の竹取物語とは一線引くものとして見るべきですね。
おそらく、元ネタとしてはその通りだと思います
羽衣伝説知ってると、より楽しめるって程度の裏設定ですかね
よく意味が分かりません。もう少し修行してこいや!!ww
見に行きます。
お前ら何言ってんの?
元が童話の映画作品でキャッチコピーがどうのなんて一々小難しい事考えてたら楽しめるわけないだろ。
Don’t think. feel〜なのだよ。
この映画は心で感じる「生命賛歌」の物語なのだ。(マイナスベクトルではあるが…)
だから「今」をちゃんと生きている奴は必ず楽しめるから頭を空っぽにして見に行って来い!
思考を放棄した愚者に上から目線で言って欲しくねぇなw
>結局姫の罪ってなによ?
>下賎な地球の暮らしに憧れた事が罪
それもなんだかなあと思います、地球へ送られた=流刑なのでここは是非政治犯で行って欲しいです(笑)。
大逆罪叛乱ああなんと甘美な響きでありましょうかこれこそ厚みのあるストーリーに相応しい、これに恋愛を絡ませればシェクスピアもマッサオです(←大ウソ)。なんですが何しろストーリー下手の高畑監督ですからそんな観客サービスが期待できるわけがありません。
それはそうと自分の知り合いに伊豆の旧家がいるんですが「えいお上に楯突く不穏分子の子孫めこの政治犯が」とワタクシメは追求していますが本人はシレッとしたものです。
ちょっとみてみたいな:)♡
かぐや姫の罪、という本が売られています。単行本です。コノビヤノサクヤ姫の時に背負った罪と。
所々消化不良で理解できなかったのですが、みなさんの考察で少し分かったような気がします。
それと勘違いしている方がいますが、石作皇子のシーンで姫の代わりに座っていた女性は、母親や侍女ではなく皇子の北の方ですよね。女遊びが激しいから、怒った正妻が乗り込んできたのだと思います。
これって箇条書きですか…?
罪と罰が何なのか消火できないままでしたがこちらの解釈で、なるほど、と思いました。
神の世界から見たら地球は確かに汚れているでしょうし、
穢れ(記憶)があったら汚いから消すのも納得です。
流刑(罰)にもなるでしょうし、目を覚まして当然と思ったのでしょう(罪だと認める)。
すっきりした所でちょっと目線をずらしますが
罪と罰については、この作品ではあまり明確にする必要はなかったから省いたように思えてきました。
多分監督が一番描きたかったのは
「憧れていた地球の生活ができるようになったのに(地球で暮らしている私たちの誕生)、それら(自然を感じ、大切にする生き方)をせずに一体何をしていたのだろう(あなたは自然に沿った生き方をしていますか?)。還る(死ぬ)時になって気づいても遅い(ですよ)」
という所なんじゃないでしょうか。
私たちも、元は死後の世界(というか、あちらから見たらあちらこそが死のない本当の世界)にいて、地球での人生を強く希望したからこそ産まれて来るのだと言います(親を選んで生まれてくるし、希望しなければ転生もしなくていいのだとか。でもそれだと自分自身も成長もしないから、多くの場合は再度の転生を希望するのだとか)。
だから、あの言葉にはハッとしました。
後悔しない生き方がしたいものですね。
(考察サイトで感想長くて申し訳ないですが!)
中学の国語の先生が姫が犯した罪は「恋」だとか言っていたけど全く違った 何か残念
「竹取物語」の作者は誰でしょう?答えは、わかりません、です。名前がわかったら、たぶん時の権力者に殺された?かも。帝さえ手が出せないことがこの世にはアルということをアピールしているのでは?高畠監督の構想にこれはなかったのではないかな。
今日、遅ればせながら見てきました。
最後のシーン、月から迎えがくるところで全てが繋がりハッとさせられました。
そこにはどういうわけかお釈迦様?如来?彼は原作でも登場するのでしょうか。とにかく何でもいいですが、つまり、仏教の教えがあちこちにちりばめられていることに気が付きました。
原作である竹取物語は、少なくとも10世紀半ばには作られていたとされており、我が国に仏教が伝来し既に3世紀程が経過していた頃であろうことから、仏教哲学を背景にした物語であったという仮説は成り立つかもしれません。
そこで、私が考えるこの映画の仏教キーワードは大きく2点、以下のようなものだと思われます。
1 輪廻転生
2 現世で生きることは苦、つまり 生・老・病・死 に加え、怨憎会苦、愛別離苦、不求得苦
輪廻転生の正しい解釈では、人間は現世に生まれて徳を積み、人格を向上して最終的には悟りに至らなければ何度でも輪廻(他の生物に生まれる者もいる)を繰り返すということ。つまり2で述べた苦の連鎖から免れるために解脱(悟り)を目指して修業(努力)し、人格を向上させて輪廻転生から離脱することが人間の生きる大目的であると説きます。この文脈からして、この物語でいう月の世界は死後の世界で、月の人が地球に行きたいと願うことは、輪廻転生を望むということであって、仏道の大目的に逆行しており、この点を「罪」と表現したのではないだろうかと思われる。或いは、月に居たかぐやは、そもそも既に輪廻転生から離脱した如来など(現世に二度と生まれることはない境地)であったにもかかわらず、地上に生まれることを望んでしまった点が重大な「罪」だったということかもしれない。
こう解釈すると、今も昔も変わらない汚辱に満ちた現世に生まれて2で述べたあらゆる「苦」の連鎖を味わうことが「罰」だったと言え、この映画でもこれらの「苦」がことごとく描かれていたのに気付く。
最後に、かぐやは天界に連れ戻されるシーンで、
「この世は自然、喜びや楽しみに満ち溢れている」というような感じの事を力いっぱい述べた。月へ戻ることは「死」の比喩と捉えた場合、この世は捨てたもんじゃないから自殺したらあかんでー的なメッセージと捉えることも出来るでしょう。しかし、仏教の見方からすると彼女は「現世への愛着」と「生きる事への執着」という大きな煩悩を断ち切れなかったと言えます。
そして、羽衣を着せられ記憶は消し去られたはずのところを、かぐやは涙を浮かべながら現世に未練を残すそぶりを見せました。輪廻転生の文脈からすると、かぐやは月に戻ってもまた人間か、あるいは別の生物として輪廻転生することを意味します。
本日レイトショーで観てきました!
いやー聞きしに勝る素晴らしい出来でした。
都が嫌いで田舎に帰りたいという姫に、おばさんに騙されてフランクフルトに行かされたハイジを思い出しました。相模はもちろんロッテンマイヤーさんね。
捨丸との飛翔シーンも良かったと思います。
だって、色黒で胴長短足で髪がボサボサで目が点の奥さんより、色白でスラっとしてて髪がキレイで目が大きい女性の方が好きでしょ、世の男性なら。
いくら働いても貧乏でお金持ちになる可能性もほとんどゼロの生活なんて捨ててしまいたいでしょ。
それが人間ですよ。
それが人間。
リーガル・ハイの最終回での堺雅人のセリフを思い出しました。
「わがままで、勝手で、ずるくて、汚くて、醜い、底辺のゴミクズ、それが人間だ!」
で、かぐや姫はそんな人間の世界の方が清らかな月の世界より好きだっていってるんですよ。
ラストの月からのお迎えのシーン、涙が止まりませんでした。
最高の作品です。
おそくなりながらも、見ました。映画フィルムというものは、なくなってしまったのですね、と思いました。
作品としては、見ていて いたいたしかったです。作品内容については、こちらで書かれているような ところでしょう。自分にとって、楽しめる作品では ありませんでした。(映画代金には見合う内容とは思いますけど) そんなようで、映像ソフトの購入は うちでは、ありませんね。
かぐや姫は、ギリシャ神話Hora神(複数形Horai)ホーライ三女神と蓬莱三山との発音の同一性と最後には地上に愛想をつかして空に帰るストーリーから、星乙女或いは月の女神アストライアや正義の女神ディケー(アメリカ法務省のシンボルであるレディジャスティス)の二次創作である疑惑を拭い去れない。日本だけに。
楽しー
このこめんとは 2014ねんにかいたのですがとってもわかリやすいですねつみとばつのいみ、これがないとわかりませんね
今日BDで見ましたが結構えげつない作品ですね
親が考える子の幸福が必ずしも子にとっては幸福ということでは無いとはっきり表現してるし
捨丸と見た一時の甘い夢すらも打ち切られるし
かわいそすぎるだろかぐや姫
遅ればせながら昨日観ましたよ一人で。あえて独りで。
映画館で観ればよかった・・・
かぐや姫ってめちゃ美人だけど冷たい女というイメージがずっとあったので、今回かわいいだけにしたのかな(商業映画だし)と思って距離を置いていたのでお腹えぐられました!
「罪と罰」は商業的に成り立たせるためのキャッチコピーとしてとしか考えられませんが、あえて解釈するならば
心の平安に満ちた世界で激しい執着を抱えた姫が、楽園から我らが俗世に落とされる。一切苦厄の現世に。
天人が現世の人間と関わるとその身に悪い物が溜まるとか、そんな話がありましたね。
忘れられるのが辛いのではなく「(この美しい世界を)忘れてしまうのが辛い」彼女は本当に月では異端、危険な人物ですね。そして愛すべき人間そのものです。
高畑作品は切なさが数日残るのでわたくし年始はずっと切ないままです。ブルーレイ買おう、ジブリのビデオって初めて。
死と生のお話とかぶります。
魂が心ざわつく地球へと憧れてやってきて
大人になるにつれてどうしようもない目にあって
死ぬ直前に色々わかる。
また死んで月へ帰っていく。
月からの使者がどうして仏教的な表現をしているのか不思議だったのですが、”心ざわつくことがない”ではっとしました。
仏教では座禅を組み、心ざわつかせない修行をするけど、究極には目的として、二度と生まれ変わらない解脱がある。
心ざわつく人は死んでもまた生まれ変わる
輪廻のなかに廻って廻っている。
でも心ざわつくからこそ、生き物や人間を愛したり、色とりどりの美を作り出す。
一番印象に残ったのは、そういう抗いようのない死と生、両極のものへの情感でした。
この人生に対する情感の表現が美しく、本当に日本的だと思いました。
最後の月光のシーンは特に象徴的でした。かぐや姫が帰ってから、皆が月を見上げるシーン、誰もがそれに抗えない、怖いくらい美しい満月の光の表現と全てのキャラクターをそこに描いているところとか。
私は海外にいて、日本に住んでいらっしゃる方たちのように前宣伝を見ていません。なので、”罪と罰”のことを何も知らないでこの映画を見ました。便宜としてこの言葉が使われていますが、本質の部分ではこのテーマに対して、それぞれの人がそれぞれの言葉で解釈していいんじゃないかなと思います。
蛇足かもしれませんが、キリスト教の楽園追放の話も思い出したりしました。
どうしようもない事が起きる中で、人は生まれる前を無垢だと憧れたり、そこに戻りたいと思ったり、本質的に生ききれない自分を汚れていると感じたり、でもその綾の中で喜びや美を見つけたり、そんな風にしながら生きて死んでいくのかもしれません。
罪と罰の罪とは、下界に興味を示したから。
それはこの世に(下界)生まれて来る人間の暗喩になっている。
罰とは、下界に落とされ、小金や着物で、贅沢に溺れるようにしむけた天上界の罠。
しかし、かぐや姫が望んだのは、幼い頃の貧乏で素朴な過去だった。
もう戻れない状況が過ぎ去った思い出が、苦しみとなり、罪になる。
それはテーマ曲の歌詞に歌われています。
天上界は悩みも苦しみも無い世界なのに、かぐや姫は、生きる事の苦しみとその中にある輝きを知ってしまった。
かぐや姫にとっては罪と罰は逆転して、天上界に帰ることが罪であり罰になるのです。
天上界とは死の世界、かぐや姫の最後の台詞は死ぬ前に自分に正直に生きたかを問う、暗喩にもなっています。
と言うように映画だけを見ての感想です。
それがいかに感動を呼ぶのかは、監督の年齢をも加味して考えるとわかるようにな気がします。
仏教の歌のなかに「月影」
っだたかなあ、あるんだ
月影の至らぬ里はなけれども
ながむる人の心にぞある
たしかこんな歌
こころにのこる映画ですね
罪と罰
についての自分なりの考察
あまり詳しくないのですが仏教は好きです
宗教の多くは受け入れます
仏陀と菩薩は違います
同じ天竺だったに住んでいるのかな
観音菩薩、薬師菩薩、千手観音菩薩は菩薩です
気の遠くなる年月を修業したら仏になれる存在です
羽衣を岩にふれて岩が無くなる年月、たしか?
自分はかぐや姫は菩薩だったと思います
人々を救いに地上に降り立ち修業にでました
でも、自分の欲で今回誰も救えませんでした。
それが罪、罰はもう少しここにいて助けたいのに帰らなければいけないこと
仏陀は大日如来その光をうけて夜をてらしてくれるのが月
すなわち菩薩、
かぐや姫
独自解約
すみません
すみません
やっぱり罪は
菩薩なのに地上に降りたいと思ったこと
罰は降りてみて
愛別離苦、四苦八苦をあじっわたたこと
それほど
地上はすばらしいてことだ
四苦八苦があってもこの世にこそ涅槃がある
生まれてきただけで宝くじに当たったようなもの
みんな生きようありのままに
あるがままに、生かされよう
最後に
捨丸と空に飛び私を受け入れてと願うこと
皇子は天照 すなわち太陽
その話をことわってもうけいれてほしいもの
鳥 虫 けもの 草 木 花
生きるということ?
死ぬということ?
せんぐり いのちが よみがえる
菩薩でさえ憧れる世界に生きよう
原作のかぐや姫の罪は月で不倫したからなのに変わってるんですね
大変分かりやすかったです。
ありがとうございました。
そうだったんですか∑(゚Д゚)罪はかぐや姫は月で悪さばかりしていたから地球に送られたと学校の先生に教わったのですが。
地球に送った人の思惑通りにはなってない気もしますが、
罪と罰が分かりスッキリしました。有難うございました。
罪と罰…誰しも関心のある内容ですね…
子供の頃から知っているかぐや姫の物語をジブリ映画で見ることができたことにまず感動しました。そして、こちらの内容を読み、皆さんが真剣に罪と罰という内容を考えていることに感動しました。人間ゆえに考えること…
この作品の答えはハッキリしませんが、この作品を通して罪と罰を深く考えることに意義を感じました。
テレビで今日見ました。
言い寄る高貴な男どもを振り抜いて、
お~かぐや姫ご立派。地位や名誉になびくそこらの女とやっぱり違う、
と感心して見ていたのですが
姫と捨丸との邂逅は、捨丸に幼子とおかみさんがいたので
納得がいかず
そうか軽薄な都の男が嫌だったのか?
実直な田舎の幼馴染が好きだったのか
とも思えたが
最後月の人が迎えに来たとき仏様がその中にいたのですごく違和感覚えました。
映画はアレンジしたものなのねと思いつつ
やっぱり高畑さんのは好きじゃないと思いました。
ツッコミ入れながら視聴。
帝=天皇を原作とは変えて徹底的にただの好色家の嫌われ役に仕立て上げるあたり、やっぱそっち系の人の臭いがプンプンしましたわ。
何が何でも天皇=悪にしたいんだな。
最後に帝に手紙と不死の薬を渡すシーンも丸々カット。
だってあのヒールな帝の設定だと、そんな仲良しごっこは矛盾しちゃうから。
映像や表現は確かに素晴らしい。でも個人的な思想に基づいて意図的に改変されたシナリオには閉口せざるを得ない。
これを単純に「竹取物語の映像化作品」として扱って欲しくないわな。特に子どもにはちゃんと原作との違いを説明しないと見せられない。
捨丸とか必要か?あいつ姫と再会した途端、妻子捨てて駆け落ちすることを即断したぞ?
貧しいからって平気で泥棒する奴をいい人みたいに描かれてもなぁ。
テレビ放送でみたのだけど最後の捨まる兄ちゃんのダメ人間ぷりが強烈でそこばかり記憶に残ってしまった。
赤子いるのに一緒に逃げようとかどんだけ糞人間なのさ。
それ以外にも正直この映画何が面白いの?という感想しか。普通の日本昔話のほうが面白い。
竹取の翁は地井武男さんだったんですね、この映画発表するまで何年もかかったと聞きましたが・・・そうなんですね。あと斎部秋田(かぐや姫の名前考えた人)立川志の輔さんなんでセリフの後に「合点いただけましたでしょうか?」って言ってしまった
すてまる兄ちゃんの屑さに圧倒され、ほかの記憶がない。
2歳くらいの子持ちの癖に一緒に逃げようってどんだけ。
それを除いても単純に面白くない映画だったな。
テレビで最後の方しか見られなかったのでここを
覗きましたが、わかりやすく面白い文章に
引き込まれました。
ありがとうございました。
ほぼ同じ解釈でした^_^
でも一番心に響いたのは…
鳥や獣の様になれなくとも、この地で人として生きる喜びを感じる事が出来る。強く感じていれば辛い事も「なんでもない」。
というかぐや姫の希望とそれが叶わない切なさです。
罪という言葉で片付けてしまっては僕たち人間に希望はありません。
だからこそ監督はあのキャッチコピーに反対したんですかね?
地球が穢れてるんじゃない!
極悪非道な権力者が世の中を牛耳ってるのが諸悪の根源なのだ!
↑匿名さん
そうですよね。地球とそこで生きる者たちに罪などあるはずがない。
月とは4次元の世界で心を司っているところだそうです。人は生まれ変わり死に変わりを永遠に続ける(輪廻転生)のですが、この世に生まれてくるのは罪を犯した罰ではなく、全く苦の無い世界(月)にいても人は成長することができない為、魂の成長を願って、長い時間の修行を経てようやくお許しが出てこの世に肉体を持って生まれてくるそうです。人が賢かったり、愚かだったり、音楽の才能があったりなかったり、神様が好きだったりするのは前世の記憶だとか。死ぬ際にはすべての記憶を無くすのですが、そうした学んだものだけは残って引き継ぐことができるそうです。死んだ後はこの世にいた時の記憶をいかに引きづらずに未来の修行に励むことがテーマとなります。ですからかぐや姫のようにこの世に思いを引きずることは大きな罪となるようです。あの世は想念の世界である為、思い出しただけですぐ戻ってきてしまうとか。まして地球に残した人を思って取り付いたりすることは大罪だそうです。竹取物語の原作も読んでいませんし高幡監督のコメントも知らないのですが、自分の学んだことから解釈すると、かぐや姫が罰により地球に下ろされそれが許されるために月に戻るという解釈は当時の仏教的な考えなんでしょうね。この映画は大変な名作と思う一人ですが(特にすきなのがコンテのような絵と音楽)、優れた映画とはその背景にあるテーマが容易すぎることがなく、色々考えたり、人と話し合ったりすることを促す映画なんでしょうね。彼岸のことを知ることにより、自分たちの現世での生の美しさ(人生を学ぶ事のすばらしさ)をよりよく知ることができるように思います。知ったかぶりの意見を書いてしまいました。
失って初めて大切だったと気づく。
過ぎ去って振り返り、もっとこうすればよかったと悔やむ。
だから、今この時をもっと慈しみ大切にしてほしい。そんな思いが伝わる作品でしたね。
最後、記憶を失ったかぐや姫を追い駆けるお爺さんの表情に涙した。
今まで我が子のように育ててきた姫との悲しい別れ。
姫が去った後、「私を許しておくれ、姫」 と言っていたのは、
姫が月に帰らなければならないキッカケを作ってしまったのは自分なのだと
悔やんでも悔やみきれない思いから出た言葉だと感じた。
この映画は、かぐや姫だけでなく、お爺さんの罪と罰も表現されていたような気がする。
いずれにせよ、あまりにも悲しい結末。
出来れば、原作を変えてでもハッピーエンドにして欲しかった。
ただ、あえてそうしないことで、アニメ「あしたのジョー」のように、
記憶に残る名作になるのではないかと思う。
なんて、そう言いつつも、DVDで幸せだった田舎でのシーンを繰り返し観てしまう私です。
かぐや姫の顔を見るたびに、誰もが美しい美しいと言っていたけど、
髪の毛が無ければ、凛々しい男性の顔にしか見えない。
とある本によると
かぐや姫は金と欲に眩んだ年寄りが姫を身分の高い人に嫁入りを勝手に進めるので
鬱病になって死んでしまうのでとか
ミステリー系の漫画描いてあったり
複数の解釈では不老不死と言うのはなく
人はいつか死んでしまうものですよ
と言う意味の仏教の教えの強い作品であるの説
未だに、たまに観てます。
私は、人間が本来に持って生まれた「写し」のように思いながら観てました。本来、お金には縛られない、生まれたままの、実は何も所有していない自分自身が居ます。それが、育つうちに、何が恵まれていて、何が裕福であり、何が貧しいものか、と、教えられる…この、お金のある世界だからこそに、教えられる世界観です。…もしも、私が、小さな虫けらで、いつでも踏みつけられ、死んでしまう蟻なら、そんな世界など知ることもないし、知りません。知ろうともしない。お金の世界とは別世界の、大自然の中に生きる、「蟻」でしかないのだから。
もしも、「蟻」が、哀しみに興味を持ち、それを知りたくなれば、また進化して自然の事なりや、宇宙の法則もまた、変わるのではないかな、と。
「蟻」が、受け入れることにより、変わる事実も、「蟻」が受け入れないことにより、それは排除され、消されてしまう…かぐや姫の拒絶した哀しみというのは、何が特か、とか、何が裕福で満たされるとか、全てが損得の末の哀しみのように思うんです。
私は、人間の鏡を、観たような気がしてならなくて…
捨て丸達が、また木々が再生するために、木々を残し、10年もの歳月を去ることにも意味があると思いました。
一本の木が、この私達が生きている土壌に影響と、育てるためには、それぐらいの歳月が要るのかもしれません。
それくらい大切なものを、姫は拒んでしまった。それが、罪のように思うんです。
…姫と同様、私も、お金ある世界により、多くの自然という知恵、恵みを壊しています。この大地があるからこそ、「今」が在るのに…。
地球って、凄いんですよって、教えられたような、そんな作品でした
オニ子さんへ
貴方がオニ子を自称する理由はございません
「蟻」にも心があるならば、紅いものと黄色いものに斧を振り上げた私は「蟷螂」
空でも私の名前はおおみやしんご
逆からよめば、ごんしやみおお
業で死ぬのが闇の王たる勤め
それができぬのならば、sinを背負って我はgo するしか道はございません
ただ、規則だけは護ります。
オニ子さんの考察大変素晴らしいと思います。
もし仮に、オニ子さんがブログ等をしているならば、オニ子さんのブログのリンク先を教えて頂だけないものでしょうか?
前に古い知り愛からオニ子さんらしき方のブログを教えて頂だきましたが、携帯を田んぼに落としてしまってメモリーが吹き飛んでしまいました。
貴方のブログを楽しみにする1人として私も混ざりたいと考えていますので
もしよろしければ返信ください
オニ子さんの考察大変素晴らしいと思います。
もし仮に、オニ子さんがブログ等をしているならば、オニ子さんのブログのリンク先を教えて頂だけないものでしょうか?
前に古い知り愛からオニ子さんらしき方のブログを教えて頂だきましたが、携帯を田んぼに落としてしまってメモリーが吹き飛んでしまいました。
貴方のブログを楽しみにする1人として私も混ざりたいと考えていますので
もしよろしければ返信ください
かぐや姫の前では男は皆のぼせて変わってしまうのに、仲代達矢さん演じる炭焼きのみが淡々とそこにある。これは話のご都合か、はたまた一つの隠喩か
竹取物語とは現代日本人へのメッセージであり、日本人に対する月世界の住人からの「この物語を解読せよ」との宿題なのではないのか・・・・。
この物語を真に解読するにはカギがいる。
そのカギとは古事記・旧約新約聖書・浦島太郎伝説で、天皇家はご存じのはず。
物語の終わりには、かぐや姫から最後のプレゼントを天皇陛下・お爺さん・御婆さんに不死の妙薬を
贈っている。しかし陛下・お爺さんたちは悲しみのあまり富士山(不死山・蓬莱山)の頂上で妙薬を燃やし、
かぐや姫の帰還を祈った。
ここで物語は終わっているが・・・。
しかし徐福伝説では秦の始皇帝の命令により、不老長寿の薬を求めて徐福は2度、日本に派遣されている。
不老不死の妙薬の話が中国まで伝わっていたという事ですね。
秦の始皇帝・徐福(ジョセフ)が聞きつけたという事は、始皇帝の時代より竹取物語は古い話という事になる。
日本は謎が多すぎる。やはり天皇家には恐ろしい秘密が隠されている・・・・・。
上で何人か言ってたけど、ほぼ羽衣伝説が関与で間違いない。
最後の方で不自然に現れる松と富士山と親子。これがほぼ答え。
ほんで涙する月の女性。不老不死の超常の月世界で姫様が子供な理由。
そして最後の赤子。
まさに繰り返す罪と罰、というより輪廻の地獄。
宮崎さんは天才、高畑さんは化物って言われてるのがよく分かる。
女性問題とか姫様、じいさん、ばあさんの悲しい話、って思ってたら
高畑さんと宮崎さんに鼻で笑われてしまう。
東大卒のアニメ監督はこの人しかいない事実。
共産主義で東映時代に労働運動してたインテリが考えた高レベル教養が前提の作品。
本当に素晴らしい作品です。
しかし!おもんないねん!笑
これは好みの問題やから絶対曲げれませんわ笑