原作読んでるんですけど、ちょいちょいハリウッドぽく改変されてると聞いたので見てきました
展開や感想と改変されてる部分についてネタバレ含みつつ書いてきます
原作版のネタバレ含む感想は
コチラを、クリック
オールユーニードイズキル映画版のあらすじ展開
宇宙人の生体兵器?的な奴らと戦争してる地球人たち
地球人結構負けかけてる。
軍属だけど戦場に行く類いの兵士じゃない主人公まで駆り出されて戦場に
なんやかんやと少し頑張るが、
人類側最強と名高い女兵士が目の前で殺される。
火事場のヤケクソパワーで敵を一体倒すも、
その体液が硫酸みたいなものだったので浴びた主人公も死んじゃう
・原作と違って、主人公の戦場行きの経緯がいい感じにゲスいです。
この辺は是非劇場でw
でも気がつくと、まだ生きてる。
目の前の光景は見たことある光景。次の瞬間起きる事柄も見覚えあり
あれ?俺タイムスリップした?と気づいた主人公
周りの人間にも説明してみるけど信じてもらえず、また戦場でお陀仏
またタイムスリップ。何回か繰り返す
タイムスリップと言うよりはループなわけですね
何回も繰り返したんで、死にパターンを覚えるから戦場でも活躍出来るように。
でも結局死ぬけどね。
・活躍出来るようになるまでにウダウダと情けないシーンが幾つか入るんだけどその辺が笑得るシーン混ぜてきててハリウッドだなーって感じでした
・繰り返しループの説明と、客を飽きさせない工夫がいい感じといえばいい感じ
そのうち冒頭で死んだ人類最強女兵士、リタから
次起きたら私を探せと言われる
意味わからんなりに探して話しかけると、そっけなく
・何の用?
事情を話すと
リタは過去に主人公と同じくループを繰り返してたと判明。だから人類最強レベルで強い
でも今はループできなくなってる。理由は、戦場で死にかけて輸血されて生きながらえたから
実のループ原因は、敵生体兵器の体液を浴びたコトだと判明。
・この辺の設定改変が上手くもあり下手でもあり・・・
・強引に説明するなら体液そのものにループ能力があり、かつ硫酸みたいな感じ
・主人公の体や血液と混ざり合い、そのまんま主人公もループさせてしまった
みたいな感じ
・ループして戻った主人公たちにも
そのループ能力が身についてるのが
イマイチ説明不足と言いますか納得しにくい
リタに訓練つけてもらう
戦闘ど素人な主人公。骨折したりしたら死んで時間戻して、リタにまた会って説明してまた訓練
アホほど繰り返して主人公もまぁ強くなる
まさに強くてニューゲーム
で、そんな最強レベル兵士二人で出撃するようになっても、やっぱり勝てない
でもひたすら繰り返す
そのうち、敵生体兵器とある意味繋がってる主人公が、敵生体兵器の本拠地らしき映像を受信
紆余曲折あり、何をやってもリタが死に、そのあと自分も死んでしまうコトに少し疲れた主人公
意を決して、誰にも何も相談せずに主人公一人で敵本拠地に乗り込むも、このビジョンは罠だった!!
・この辺の展開は完全にオリジナル。
主人公たち作戦変更
自分たちから敵本拠地を調べて乗り込むコトを発案
調べるために使える装置が、軍の上司な将軍が保管管理中。
厳重な警備に守られてる将軍は主人公と折り合い悪いんで普通に話しても説得無理だよってコトで
ここでもループ繰り返して、見事に警備突破して将軍にピストル突きつけて脅迫して装置ゲットーやったー
将軍脅したりするもんだからまぁ追われますね
ここで死んでも敵本拠地の情報はすでに主人公が覚えてるから問題なし!!
ループしちゃえば将軍脅した事実もなくなるし!!
って作戦なのに、追ってにやられた主人公たちは輸血され一命をとりとめて拘束されます!!
つまり、リタの過去パターンから考えると主人公ももうループできない!!
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・ここが一番大きい改変だと思いました
原作では最後まで主人公はループ能力持ったままですんでね
・ループ能力消失は正直、おお面白くしたなー?と感心したトコロ
次死んだらループできないけど、それでもやるんだと主人公
拘束から脱走し、一部の協力者とともに敵本拠地に殴り込み
協力者達はみんな死ぬ。リタもやっぱり死ぬ
今度こそもうリタには会えない・・・ループできないからね
途中、主人公とリタがイチャイチャするようなシーンとかあったりして尚更切ない
主人公は自爆攻撃で敵生体兵器に突っ込み敵を全滅させる
何故か主人公は再び目覚めた
そこはいつものループから覚めて見た光景
先ほどの自爆攻撃で再び敵の体液が主人公と混ざり合ってループしたみたいな感じ
そして、敵生体兵器の本拠地で謎の爆発があり
敵が全滅しているとの報が入る
ここが少し意味がわかりませんでした。となりの人がジュースこぼしてわちゃわちゃしてたのもあるんですが
自爆して全滅させたけどループで戻ってきた
この時間軸ではまだ敵は全滅してないはずなのに
いつものようにリタに会いに行った主人公
ループの度に繰り返し繰り返し何度も聞いた、あのそっけない
・何の用?
と言う言葉に、満面の笑みの主人公
て感じのラストシーンでした
最後にリタも生き残るのはかなりの改変っぷり
改変部分がいい感じなところもあるんですけど、
なんというか主人公が強くなったて感じはしないんですよね
いや、作品序盤に比べると強くなってるんですけどね
戦場での、死にパターンを覚えて対処するコトで生き残る
みたいな感じなので少し原作とは強くなり方のベクトルが違うというか
あとは、序盤でループするたんびの主人公の死に様がいちいち笑えるのが、人によってはちょっと残念かも
原作で主人公が自分一人ループを繰り返してるコトに疲れたり葛藤したりするシーンがあるんですけどその辺はなかったですね
個人的には原作のラストのが好きですね
漫画版のラストが一番好き
追記 そしてなんと驚き。続編製作中とのことです
http://wp.me/p3DYJT-3bw9
コメント
映画の感想ありがとうございます~。
やっぱり危惧していた通り、ハリウッドレイプでの原作改変がありましたか~;:
ループしたのに敵の本拠地全滅とかヒドイ……;;
ヒロインが死なないのはいかにもハリウッドらしいですね。
漫画版のラストが一番好きなのは自分もです。
レビューありがとうございました。
ラストシーンは少しよくわからなかったです
ひょっとしたら、いい感じに理屈付けがあるのかもしれないんですが、僕が気づかなかった可能性もあります
ハリウッドレイプ?てのがちょっとわからないけど
まぁそんなに悪い改変ではなかったですよ
これはこれでこういうベクトルの作品として楽しめるようになってました
ラストシーンはやっぱりマンガがすきですね
最後ギタイは全滅したのでは無く、ギタイのループの力が無くなっただけじゃないんですか?
それならそれで、最後主人公が目覚めた瞬間に既に人類優勢になってるのがよくわからないんですよね
ループなくなるのになぜラスト一回ループしたかも謎ですし
ご都合主義なラストでしたけど、原作の終わり方はハリウッドらしくないなと思ってたのである意味予想通りでした。
ギタイは1個の個体って説明があったので、オメガを倒したことで全ての時間軸のギタイが死んだんじゃないかと考えてます。
最後のループは説明しようがないですね、オメガの体液が特殊だったとしか・・・
はじめまして。ちょっと分からなかったので質問させて頂いていいですか?
途中リタに訓練をしてもらうところで、ケイジが傷つくたびにリセットしていましたが、リタからすれば今のこの世界ではケイジがギタイを倒す希望であるのに、どうして別の世界(パラレルワールド)でのケイジの活躍のためにあんなに軽くリセットできてしまってたんですか?リタはループしていないので、今の世界ではケイジが亡くなってもうギタイに立ち向かう術をなくしてしまったんですよね?私はどこか勘違いしていますか?そこが気になって映画にのめり込めませんでした。。
ちなみに漫画版は読みました。
突然の質問でごめんなさい。
訓練中に怪我するような奴は世界の希望にならないから、別に殺して問題ない
ってのと
過去に戻った後、違う未来に進むことでパラレルワールドに進むわけであって
戻り先の世界その時点はパラレルワールドではない
同一世界をやり直してる
ケイジの死で、世界自体が巻き戻ってるから、刑事のいなくなった後の世界が存続してはいない
って感じの理屈付けでいいんじゃないでしょうか
ぶっちゃけその辺はあんまり考えられてないようでしたね
疑問に思うのも当然です
ご丁寧なお返事ありがとうございます!
だから訓練中に怪我せず強くなるように訓練していけばいいのに、とか悶々と考えていました。
でもケイジの死で世界全体が巻き戻ってるってのは、なるほどそれなら納得できます。ずっとケイジがいなくなっても世界は続いていると思っていたので、漫画版でケイジがリタと会って一日孤独の悲しみを共有した後、ケイジはリセットされリタだけがまた孤独の世界に残されたんだと一人勝手に涙してたんですが、どうやらそういう設定ではなかったようですね。
実は先ほどたまたま原作者のインタビューをみかけて、原作者自身もそこはあまり深く設定してないのかもという印象を受けました。もう私も深く考えすぎるのは止めて、もっと作品を楽しもうと思います。
ありがとうございました。
深く考えているというより、パラレルワールドがあるという固定観念に囚われているのではないでしょうかね。
映画版は最初主人公が将軍からの命令で、前線に行くのを嫌がって逃亡しようとし、少佐の権限を剥奪された状態で前線に送られましたが、最終的なループ後には命令を無視せずに少佐の権限をもったまま前線に自ら行ったことによる、今後の展開も面白そうだなといったラストだったので、個人的にはそう悪くない終わり方でした。
それと最後のリタは最初に会った権限を剥奪された下っ端兵の主人公に対するそっけない「何の用?」ってのとは違って、ちゃんと上官に対しての言い方ですね。
最後のループはこう言う事ではないでしょうか?
1オメガを倒した際に体液を浴びてパワーを得る
2過去に戻り、誰も死なせない為一人でオメガを倒しに行く
3成功したのでリタに合いに行く
こう考えた根拠は
・最後のシーンはケイジが目覚める所からではなく、
キャンプに着いたところから始まる
・パリでのパルスの発生(オメガの死亡)は前日の出来事として報道されている
ただ、これだとケイジの階級が二等兵ではないことの説明が付かないんですよね
将軍と何らかの取引を成功するまでループをしたって事なんでしょうか?
ところで、ギタイの体液を浴びたせいで死んだと書かれてますが
ケイジが最初の戦闘で死んだのは地雷による自爆です
最後ケイジがヘリの中で目覚めた後、オメガ死亡のニュースを見て驚きと同時に喜びを感じているようでしたし、本人も訳が分からないけどラッキー!って感じではないでしょうか?
いつものループよりも少し過去に戻れた事も、オメガが死亡したのに体液を浴びただけでまたループできた事も深い理由がない気がします…
その深い理由がないのに、劇的な展開ってのが
つまらない的な話です
ハリウッドらしいと言えばハリウッドらしいのですが
一日目の夜にボスを倒しにパリに向かうのに最後のループ
では一日目の朝にすでにボスがやられている、という
ラストシーンがどうにも説明つかず、ネット上に答えが
出ていないかと探してここにたどり着いたのですが、
どうやら管理人さんも(他の人々も)納得いく
答えは見つかっていないようですね・・・
可能性としてありそうなのは他の人が書いてるように
一度能力を失ってから再び得たラストループの能力が
一日目に戻るのではなく更にもう一日(またはそれ以上)前
に戻る能力だった、ってことでしょうか。
それでも武器はどうやって入手した、とかどこで訓練した、とか全然説明つきませんけどね。
原作と映画の違いとしてあげられるのは原作におけるループが記憶だけが遡っていることに対して、映画版はおそらく時間そのものが巻き戻っていることだと思います。(ループのきっかけがアルファの血による肉体変質ですからそうとしか説明がつきません)
そしてオメガだけはその時間の逆行の影響を受けないと思われます。
なぜならオメガを含めた全てが巻き戻ってしまったなら前回のことを覚えている存在がいなくなってしまうからです。
ケイジやアルファの記憶は全ての出来事をを覚えているオメガから受信することで保たれているのではないでしょうか。
だからラストにオメガの血を浴びてタイムリープ能力を取り戻したケイジが過去に戻ったとき、前回のループでオメガを殺していたので、巻き戻った時点でオメガが既に死んでいたのだと思います。
オメガという個体だけは時間巻き戻りから除外されるっていう特例がご都合すぎて・・・
確かに説明はつきますが、それが作品として納得いくかというと納得いかないですね
作中描写があんな感じなので、どうやっても無理やりになりますね
エンディングの見解ですが、
Ωギタイの体液を浴びて、Ωギタイ化したケイジが、
ループ能力の残っているリタ(αギタイ化リタ)から
発信されている情報を無意識に受信し、そこへループしたものだと解釈しました。
テレビで報道されているのは、Ωギタイ破壊の報道ではなく、
初めての人類が勝利した時の報道だったのかなと。
ケイジは、Ωギタイの居場所を知っていて、少佐。
二等兵では到底できなかった行動や作戦を米軍内で行えます。
そうなれば、早期に最小限の被害でΩギタイを破壊することが出来て、
作中の戦場も無く、多くの兵士は生き残り、ハッピーエンド。
こういう想像をスタッフロールを見ながらしていました。
ハリウッドっぽいとかハリウッドらしいって言うのが気になったんですが、ダグ・ライマン(この映画の監督)の映画見たことありますか?生き返った時のテンションの変わりよう。つまり管理人さんがおっしゃる「活躍できるようになるまでの笑いが入ったウダウダと情けないハリウッドっぽいシーン」はダグ・ライマンっぽいところですし、まあ二人で車に乗ってるシーンもボーンアイデンティティを彷彿させられますが…
何が言いたいかと言うと多くの違った監督の、作品を「ハリウッド」でひとくくりにするのは外国の監督に対するちょっとした偏見ではないかということです。監督それぞれに個性がありますしね。
ハリウッドっぽいとかハリウッドらしいって言うのが気になったんですが、ダグ・ライマン(この映画の監督)の映画見たことありますか?生き返った時のテンションの変わりよう。つまり管理人さんがおっしゃる「活躍できるようになるまでの笑いが入ったウダウダと情けないハリウッドっぽいシーン」はダグ・ライマンっぽいところですし、まあ二人で車に乗ってるシーンもボーンアイデンティティを彷彿させられますが…
何が言いたいかと言うと多くの違った監督の、作品を「ハリウッド」でひとくくりにするのは外国の監督に対するちょっとした偏見ではないかということです。監督それぞれに個性がありますしね。