アンパンマンの作者として、または童謡『手のひらを太陽に』
の作者として有名なやなせたかしさんが亡くなりました。94歳、心不全の為だそうです。
ご冥福をお祈りいたします
どんな方だったのか。弟さんとアンパンに秘められた逸話とは?
調べてみたのでみていきましょう
NHKのニュースサイトから
やなせ たかし(本名:柳瀬 嵩)
1919年(大正8年)2月6日 – )は、日本の漫画家・絵本作家・イラストレーター・歌手・詩人。
日本漫画家協会理事長(2000年5月 – 2012年6月)、日本漫画家協会会長(2012年6月 – )、有限会社やなせスタジオ社長。
東京府北豊島郡滝野川町(現・東京都北区)生まれ、高知県香美郡在所村(現・香美市)出身。
『アンパンマン』の生みの親として知られる。
デザイナー、編集者、舞台美術家、演出家、司会者、コピーライター、作曲家、シナリオライターなど多分野で活躍したことも
作曲家としてはミシェル・カマという筆名を使う。
編集者としては、サンリオ刊行の雑誌『詩とメルヘン』の編集長を長年務めた(1973年 – 2003年)。
現在は季刊雑誌『詩とファンタジー』に責任編集という形で関わっている。
『アンパンマン』の人気が上がって売れっ子になった時はすでに50代後半になっており、漫画家としては大変に遅咲きであった。年齢が90歳を超えて、2010年には引退も考えるが、翌年3月に東日本大震災が起こったことから思いとどまり、未だ現役で活動を続けている
主な作品
アンパンマンシリーズ
おむすびまん
ニャニがニャンだー ニャンダーかめん(ピョンピョンおたすけかめん)
作詞
手のひらを太陽に
アンパンマンのマーチ
勇気りんりん
アンパンマンは日本中の子供に夢と勇気を与えたすばらしいアニメ作品です。
その原作者の方が亡くなられてしまいました。
またNHKみんなのうたで放送され大人気となった童謡『手のひらを太陽に』の作詞をされたかたとしても有名です
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
歌詞を目にすれば、頭の中で再生されることでしょう
日本の歴史に残る名作であり、すばらしい歌詞です
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是非、今もういちどお聞きいただきたいと思います
ここ数年太陽を崩していた?
そうなんです。じつはここ数年体調がよろしくなかったようです
2010年には体調不良で、アンパンマン関係のイベントを欠席されたり
2011年には眼の調子が悪い。ということで、日本漫画家協会の理事長を辞任。会長に就任されていました
また、ご自分のお体のお状態を把握されていたのでしょうか
2012年には
僕はもうすぐ死ぬ。
来年は(テレビアニメ放送の)25周年だから、あと2年生かして欲しい
なんて、冗談をイベントで発言することもあり、当時ニュースになったりもしました
http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20120708/Cobs_ie_201207_932.html
まさか、それから、1年と少しでお亡くなりになられるとは・・・・
本当に残念です
弟さん、特攻隊。そしてアンパンマンのマーチの関係
実はやなせたかしさんの、弟さんは当時22歳の若さで特攻隊に志願、亡くなっています。
また、ご本人の自伝などでも、戦争体験を度々語っており、それらの経験がアンパンマンの誕生に繋がったことを匂わせるような発言もあります
この辺のエピソードについて詳しくまとめられているサイトがありましたのでご紹介します
是非、ご覧ください
特攻隊に志願した弟さんに向けて作られた?アンパンマンのマーチ秘話
やなせさんは、戦時中の極度の飢えを経験されたようですね
目の前に、極限までお腹を空かせている人が居るならば、その人に1片のパンを与える優しさと愛は世界共通で根源的なものだ。と
そういった思いから、アンパンマンという作品の骨子がうまれたのかもしれません
ほとんど知られていないアンパンマンの設定↓↓↓↓
実は初代アンパンマンは普通の人間。中年のおじさん。交換した古い顔はどこへ行く?
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太陽を崩すな